カワユイ(^◇^)ムスリム新聞

紙版でしか存在していなかったムスリム新聞を少しずつデータ化します。誤字脱字も当時のままとします。

創刊号_手紙から

山崎浩子のこと

 今朝(6月26日)のテレビで、新体操の山崎浩子統一教会に入っていて、この8月に合同結婚を予定している、というニュースがセンセーショナルに報道されていました。それに関する記者会見の模様が長々と放映されていたのですが、インタビューに答える浩子さんは、確信に満ち、しかも自然でなんの気負いもなく、その表情には信仰を得た人間の清々しさがうかがえました。

 浩子さんは、統一教会の勉強を3年ほど前からやられていたそうですが、きっかけは友人に誘われて見た、ビデオだったそうです。そのビデオに大変感動した浩子さんは、友人からあとでそれが統一教会のものであったことを明かされ、驚いたそうです。統一教会の悪名はもちろん耳にしたことがあったからです。しかし、なんであれあなたがビデオから受けたその感動は真実なのだから、拒否反応を起こす前に少し統一教会のことを知ろうとしてみたら、と友人に諭され、勉強を始めたのだそうです。別になんの悩みを抱えていた訳でもないけれど、ただ、学校を始めて子供にものを教える責任を意識し、自分がもっと人間的に成長しなければ、と感じていた時に、ビデオを見、人のことを思いやって生きることの大切さを知り、目を開かれたような思いをしたということでした。

 合同結婚をしようと決意したのは今年になってからのことで、去年の時点では信仰上も、人間的にもそこまで達していなかった。今は、神を中心とした夫婦生活を築きたいという気持ちでいっぱいで、どんな人と連れ添うことになるのか期待でわくわくしている、と浩子さんは語っていました。見も知らぬ人と結婚するなんて、と第三者は目をむくようだけれど、信仰に結ばれていたらどんな障害も乗り越えられるだろうし、愛し合って、この人となら一生連れ添えると信じて一緒になる二人が年月を経ると気持が擦れ違うようになる。それならお互いになにも知らない状態からスタートして、理解しあうように努力して行ったほうがいい関係を築けるのではないかと思う、とも語っていました。きのうまで見ず知らずの他人だった人を生涯の伴侶とするなんて、とレポーターはどうしても理解できないようすでしたが、浩子さんを含めた合同結婚希望する信者にとっては「文先生」(教主の文鮮明)が真意にしたがって連れ添わせてくれる伴侶なのだから間違いないと信じるのは当たり前のことだと私には思えます。自分が、この人こそと選んだ人なのに年月を経れば心変わりする、されならいっそ神に選択をまかせよう、ということなのでしょうから、信仰を持つ人間にしてみればなんの不思議もありません。

 レポーターの説明では、結婚式の前に写真でこの人と決まりました、という通知がきて、初めての対面をする結婚式後もすぐには実際の夫婦にはならず、しばらくは離れて生活し、お互いのことを念じつつ夫婦の情を高める期間をもつのだということでした。二人の間に愛情が生まれる期間をおく、というこの方法は実に賢明なやり方だと思います。

 浩子さんが誰と連れ添うのかはわかりません。言葉の通じない外国人と一緒になる可能性も大きいということでした。浩子さんは日本でこれまで積み上げて来たすべてを捨てなくてはならないかもしれません。その覚悟もすっかりできている様子でした。彼女が記者会見の最後に言った言葉は印象的でしたー「まわりのみなさんがどんなふうに見ているかはよくわかっています。でもわかっていながら、おして貫きたいと思うほどこれは価値のあることなのです」。

 同じ信仰をもつ者として、浩子さんの言葉は拍手を送りたいほど美しいものでした。でもどうして浩子さんにとってはそれが「統一教会」だったのでしょうか。私は様々な宗教遍歴を経て、その果てにイスラームと出会いました。そして、そのときはやっと真理に出会ったという確かな手ごたえがありました。私にとって信仰は「イスラーム」でなくてはなりません。それ以外にはありえません。しかし、浩子さんは浩子さんで、統一教会に「真理」を見いだしたようです。一体これをどう考えたらいいのでしょうか。私の真理と浩子さんの真理とはどうして食い違うのでしょうか。もちろん彼女の信じる神も私の信じるアッラーも同一ではありましょうが。

 「信じる」とは「知る」ことです。魂がはっきりと神の存在に触れることです。「信仰」とは無信者が考えるように「単なる思い込み」ではないのです。だとしたら、どうして浩子さんは真理の外で「神に触れ」てしまったのでしょうか。(静岡ハウラ)



 すべての人間が認め信じうる真理を提出できるのは、おそらく預言者でしょう。しかし、預言者を実際に目の前にし信じない者も人間です。さまざまな人間がそれぞれの真理を見たとしてもしかたがない面があるとおもいますが、いかがでしょうか(東京K)



交換日記はいかが

 (抜粋)ムスリム新聞のアイディアは、実は私にも以前からありました。またムスリムの生の声をまとめたいという、気持ちもあります。というのは、マスコミの無責任な報道、部外者の偏見ある記事に、もう飽き飽きし、自分で何かをしたいと感じているところなのです。ハウラさんと一緒ならできそうな気がします。

 ムスリム新聞が具体化するまでの提案、というか、その準備として、交換日記はどうでしょうか。何人かのムスリマで、ノートを回して書いていくのです。例えば、手紙であれば一人のひとしか読まないのですが、交換日記なら何人もの人に読んでもらえるし、意見も話題も膨らむと思うのです。考えてみてください。(東京ヌリーン)

 

 賛成です。交換日記なんてとてもいいアイディアです。ぜひ近く、ビズニッラー、具体化したいと思いますので、関心のある方、参加されたい方はハウラまでご連絡を。ただし女性のみですので悪しからず。(静岡ハウラ)

 

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